彫金の歴史と技法
我が国の彫金として独自の表現方法が定着したのは古墳文化以降と推測される。
中国大陸から北九州に貴金属が舶載してから、約6世紀後のことであり装身具、馬具にすぐれたものがみられる。
仏教文化の華がひらき、法隆寺金銅大灌頂幡(こんどうたいかんじょうばん)が、彫金の大作として制作された。
唐・新羅の影響は、正倉院金工品にみる限り、透彫・毛彫・蹴彫(けりぼり)・象嵌(ぞうがん)・魚々子(ななこ)など、新技法の導入にめざましい進歩がみられる。
次の時代、藤原・鎌倉・室町期は、これまでの平面的なものから、薄肉彫へ、更に高肉彫へと移行する。代表作に、中尊寺華鬘(けまん)・西大寺舎利塔・春日・櫛引両社大鎧・伝祐乗(ゆうじょう)作獅子牡丹腰刀がある。
桃山時代以降江戸期は装剣を主とする彫金家が主流であり、大名に仕えて伝統と格式を重んじた「家彫」(いえぼり)の後藤家と、自由な作風で新鮮さを出した「町彫」(まちぼり)の横谷宗珉(そうみん)・奈良利寿(としなが)・杉浦乗意(じょうい)・土屋安親(やすちか)、幕末から明治に加納夏雄がいた。
平和な日々に反映して、装剣も武士の装身具となり鍔(つば)一枚にも人生観を象徴するようなものが創作され、合わせて芸術性も理解されるようになり、いつしか武士階級だけでなく、一般市民がこれらを通じ彫金そのものを評価、愛好するようになっていった。
彫金はおもに金属板の表面を鏨(たがね)を用いて彫り、打出し、透かしたり、他の金属を嵌めたりして装飾する技法で、素材として金・銀・銅・赤銅・真鍮・鉄・錫・鉛などを使用する。
A-毛彫
毛のように細長い線を彫るところからこの名がある。基本的技法で、三角にとがった刃をもつ鏨で彫るところから、力のある線が彫れる。
B-象嵌(ぞうがん)
金属の表面に別の金属を嵌めこむ技法で、一般に銅・鉄に金・銀・真鍮
真鍮などを嵌める場合が多い。
C-打出し
銀・銅などの板金を松脂の台にはりつけ、表面から鏨で押さえ、そのハレを利用し、金属の緊張感をそのままレリーフとする技法で、粘土成形レリーフとは基本的にその効果が異なる。
D-布目
きり鏨を用い、布目状に筋をきり、ひとつの地文とする。(これに金・銀などの極薄板、細線などを打込むと、布目象嵌となる。)
E-その他
点線彫・蹴彫・釛彫・片切彫・透彫・高肉彫・肉合彫(ししあいぼり)・魚々子(ななこ)などがある。